BLUESに初めて出会った日 - First Time I Met The Blues(吉井浩平の散文その2)
Sweet Sixteen(本当はSeventeen)
何か夢中になれるものに出会うという出来事は、ふいにやってくる。こっちから招き寄せても近づいてきてはくれないくせに、ふとした時に、瞬間移動みたいに向こうからやってくる。投げたサイコロの目がある時偶然揃う瞬間のように。街を歩いていて出会ったお気に入りの靴のように。
そして、物事の性質を昨日までとコロッと変えてしまうのだ。
ある少年達のブルースとの出会いもそんな感じだった。
高校二年生の冬のある夜、目撃したものを今でもよく覚えている。
あの夜の出来事が、少年達の人生を変えたのだった。
きっかけは友人の勘違いから
都市部から少し離れたベッドタウンに住む、お世辞にもあまり垢抜けているとは言えない風貌をまとった四人の少年達が、それぞれ楽器を背負い、夜の住宅街をトボトボと歩いていた。
彼らは、仲間内で結成したバンドで既にいくつかうだつの上がらないライブを繰り返していて、その日も成功とは言いがたいライブを終えた帰りだった。
高校卒業があと一年に迫っていて、バンドはどうなるのか、いつまでこの仲間で一緒に音楽を続けることが出来るのか、漠然とした焦燥感と終わりの予感を抱えていた。
そんな道すがら、
ふとした会話だった。
「駅前の酒屋さんでジャズのセッションがあるらしいよ、皆で行ってみない?」
そんなことをあるメンバーが言い出した。
「ジャズ?あの酒屋さんで?」
「そんなスペースあるっけ?」
「まあ、おもろそうやん」
「俺ビル・エヴァンスの『Waltz For Debby』持ってるで」
「持ってるだけやろ、知ったかぶり野郎」
「うるさいわ」
「とりあえず見学やな」
何となく、そんな軽い感じでセッションに行く約束をした。何にせよ、学校に行くよりは何かしらの意味があるだろうと思ったのだ。
湿気臭い地下室と酒の匂いと、初めて会った種類の大人たち
「俺ジャズ聴いてきたで」
「やはりミュージシャンとしてはジャズもやれた方がええわな」
「てか、変な目で見られへんかな?」
そのお店は線路沿いにあって、それなりに目立ってもいたので存在は知っていた。だけども、ライブをやれるようなスペースがあるようには思えなかった。大体、ライブはライブハウスでやるものだと思い込んでいた。
四人の少年は、二月の冷たい風に体温を奪われながら、建物の影からその酒屋さんを覗いた。そして、やはりというか、ライブスペースがあるような気配は無く、不安になった。
「うーん、どうしよう、帰るかね?」
しばらく往生していると、店の横に看板があるのを見つけた。"ライブ B1"
「地下?」
恐る恐る、裸電球が灯す薄暗い地下への階段を、さらに暗い底の方へ一歩一歩下りていった。視界の悪い中、ギシギシとした足元の音に不安を煽られながら階段を下り終えると、彼らの気持ちがそうさせるのか、神経質そうな扉が現れた。
「この向こうに?本当に?」
ドラキュラの館に迷いこんだ気分。
或いは何か悪い集団のアジトかも。
だとしたら・・・
誰か一人は生きては帰れないかもしれない。
・・・もしかしたら全員?
ええい、
もうどうにでもなれっ!
思いきって音を開けた刹那
バコォーン
完全に頭を殴られた。
腹を揺さぶるドラムのビートにゴムのようなぶっといベースライン、
聴いたことのないような歪み方をするハーモニカとシャウトする歌、
そして爆音のエレクトリック・ギター。
その一瞬で、少年達はブッ飛んだ。
もう、自分が立っているのか、座っているのか、意識があるのかも分からなかった。
ただ確実に言えるのは、自分達が今まで生で見たことのないような熱量の音楽が、凄まじいレベルの演奏で、今、目の前で繰り広げられている、そんな衝撃だった。
突然の出来事に、演奏が終わってもしばらく呆気にとられている少年達に、あるオッチャンが話しかけた。
「どうしたんや?高校生やろ?珍しいなー」
「あ、はい。ジャズのセッションがあるって聞いて来ました!」
「ジャズ?あー、ちゃうちゃう、ブルースやで、ブルース。ブルースのセッションや」
ブルース?
これがブルース?
めちゃめちゃカッコいいやんけっ!!!
「まあ、ゆっくりしていき」
だんだんと落ち着いてきて部屋を見渡すと、DIYで作られたライブバーのような造りになっているのが分かった。立派なステージがあり、バーカウンターもあればフロアーにはテーブルと椅子が並べられていて、ラフな感じの大人達が音楽と酒と下世話な会話を楽しんでいた。
優しく受け入れてもらった少年達は、コーラ片手に、目の前の演奏に心を奪われ続けていた。
なんてカッコいい音楽なんや。しかも、目の前の大人は、自分達が知っている種類の大人じゃない。
彼らの知っている大人というのは、指導と称して頭をはたきながらどなり続ける監督やコーチ、体温のないような目で罵り続けるバイト先の社員さん、教室の後ろにライブのフライヤーを張った彼らをクズ呼ばわりした学校の先生など、そんな種類の人間だった。
それでもって、本当に彼らの偏見なのだけれども、大人になって趣味でギター弾いてる人は皆髪の毛7:3分けでさだまさしみたいなAmコードを弾いてるって思っていた。
けれども、ここにいる大人達は、穿きこなれたデニムをルーズに着こなし、気の効いたフレーズに反応して声を上げながら美味しそうに酒を呑み、出番になったらダーティかつ凄まじい演奏をしている。
少年達の知っている大人はこれっぽっちも楽しそうではなかったのに、今この目の前の大人達は一人残らず楽しそうだったのだ。
そう、過去の良かったある時間ではなく、まさに今この瞬間を生きているとでもいうような。
その頃は大人のことを誤解していたのかもしれない。"大人になれば楽しい時間は終わる"くらい思っていたようだ。
少年達が大人になってから気付いたことだが、本当は、みんないつの時も「今このとき」を生きているのだろう。
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この時の体験で、その場にいた四人全員がブルースにのめり込んだかどうかは、人それぞれだったのだと思う。
だけども、少なくとも、この後の価値観に大きな影響を受けたのは一致するところだろう。
一人を除いて(その彼は音楽をやめる決心をし、芸大へと進んでいった)、少年達はしばらくこのブルース・セッションに通い続け、腕を磨きながら、人生を楽しむいろはを教わった。
所謂3大キング(B.B.キング、アルバート・キング、フレディー・キング)、ロバート・ジョンソン、マジック・サム、エルモア・ジェイムスといったブルースマンを教えてもらったのもこの時期だったし、モダン・ブルースのギタースタイルもあれば、その一方でジミヘンやSRVみたいなスタイルで本当にカッコいい演奏をするのを目の当たりにした経験から、頭でっかちにならずに済んだというのもある。
彼らのブルース初体験は、レコードの中のブルース・レジェンドではなく、駅前の酒屋さんの地下にいた、パートタイム・ブルースマン達だった。
生活が音楽になった
それまで、少年達が持っていた音楽に対する姿勢はこのようなものだったと思う。
- 音楽を続けるためにはCDデビューして、音楽シーンに影響を与えるような人間にならなければいけない(ビートルズやオアシス、またはブルーハーツやスピッツみたいになるぜ)
- そのために良い曲をたくさん作る
- 曲を発表できるバンドを作る
本当に青臭いけども、本当にそんな風に思っていた。
それ自体全く悪いことではない。
しかし、あの場所で体験した音楽は、もっともっと生活に密着したところにあったのだ。
悲しい気持ちも、イラついた気持ちも、喜びや楽しさも、それがダイレクトに音楽になっていた。
それでいて、皆昼間は音楽以外の仕事をしていながら、全然手が届かないほど上手かった。
少年達がどれだけ練習して、表面上の技巧を習得して曲を弾いても、内側から出てくる説得力みたいなのが全然足りず、ただの音の羅列でしかないような気分だった。
もっともっと色々な経験をしなければいけない。
とにかくこの場所で認められる演奏家になりたいと思っているうちに、ブルースという音楽から抜け出せなくなった。
あの時から時が経って、少年達も大人になって、それぞれに自分のステージに立つようになったけれど、果たして、あの日のブルースマン達がいつかの自分達に与えたような衝撃を、同じように誰かに与えるようなことは出来ているのだろうか、今でもふと思う時がある。